『予定は未定』というのはある種の逃避行であり当人の心情をありありと語っているのかもしれない。なんてなんとなく思いました、画像は描いてるやつ。続くのかな。
こんにちは。お久しぶりです。こんな季節、状況下ですが、みなさんお元気にしていますか。
只、あなたが命を繋いで、生きていてくれるなら僕はそれだけでいい。そう思ってます。けどそうもいかない状況下にある人たちは沢山いるかと思います。それでも街の雑踏は変わらなくて、知らない何処かで誰かは心を殺され何度も死ぬ思いをして。それでも世界は回り続けていって、僕らの感情や調子なんかお構いなしで、本当に嫌ですね。
これは僕の価値観でありますが、僕は僕自身が生きてて、意味も価値もないと思って生きています。
価値、意味、それらをつけたところで、何も変われやしないんです。結局は「游眞」と人間である事に変わりも代わりも相違もなく、自己意識が周囲の声の濁流に流されなければ、それでいい。そう、思ってました。
けれど、過去に受けた傷という名の呪いってすごいですね。ここまで来ると本当、『呪い』という言葉が相応しいですよ。いいわけしたくないですが、親から受けた刃の数々が、創作の弊害になっています。
とある日「自傷行為を繰り返しながら創作を続けるか、一度創作から離れて療養の時間を設けるか」という選択を迫られた日がありました。これはまぁ雑談程度のものでぽっと出た案でした。自分の傷が未だ癒えず、おまけにそれが創作の弊害となっていて、何年も苦しんでいるのなら、休んだ方がいいのではないか、と。
「何故君はそんなに創作が出来ない?何をそんなに苦しんでいる?」という話から始まって出た選択でした。
『描かなきゃ、何かしらのフラストレーションが溜まる。それは嫌だ。だから筆を置くことは出来ない。』
それが精一杯の答えでした。それしか自分の中から出せませんでした。
自分の両親は「過干渉」で「無関心」でした。矛盾しているこれらに、僕は狂わされてきたんだと思います。僕を只のアクセサリーか人形のように扱っていたのでしょう。只存在して息をしていればいい。思い通りの子供にカスタマイズしようとしたのでしょう。
僕はこれらの「過干渉」に、ずっと苦しめられてきました。今でも苦しんでます。距離を置きほとんど縁を切っても尚、地獄は続いています。植え付けられた価値観によって自己否定が激しい。自分を穢く思う。何度も何かに「死ね」と言われている気がして、または何か罵倒され罵られている様で、普段から音楽が手離せない。夜寝られない。寝ても必ず夜中の3時~4時に起きる。ランダムでやって来るフラッシュバックと感情の爆発。それが体に染みついていて、いくら洗っても薬を飲んでも、落ちないのです。ここ数年でマシにはなったけれど、この地獄はいつまで続くのでしょう。何をしたら癒えるのでしょう。
いい加減、こんな悪夢から覚めたいです。
夢から覚める為には生きる他ない。いつになったら救われるのか、または自分の心を掬いだせるのか。分からないことだらけです。
弱音のような自分語りをしてしまってすみません。
最近は、外にも出られず、窮屈な思いをしています。せいぜい好きな人たちの創作や音楽に触れて何かを感じて「スキ」が溢れて幸せな気持ちになれるのが今の所の命を繋げている理由です。もうひとつ理由があるとするならばやはり「創作がしたいから」。ここに還ってきますね。どうしてなのかは、分かりません。分からない事ばかりなんです。知りに行きたくても好きなことを続けたくても何もかも弊害になって、苦しいです。
一体、何処まで逃げれば満足するのでしょうね、僕は。
中途半端な感じですが、一旦綴るのをやめときます。また次更新する時も読んでやってください。
ここまで読んでくれてありがとう。ではまた。