自分の欠片みつけよう

カテゴリー 日常

どうも皆さんお久です。游眞です。
年が明けてしまいましたね!!いえーい。絵は去年描いたのとお年賀と新作の一部を。


 

寒い日とこのご時世、窮屈な生活を送っているかと思います。そんな中どんな風にお過ごしですか?僕の方は酷くなった喘息は収まりつつあり、大分元気になってきました。1月を迎え、年越し、正月は友人の家で過ごしました。おせち美味しかった。

さて、1月ももう10日目ですね。
最近はこれからの事を考えているようで、あまり考えてないです、ね。なんというか、またしても過去の傷に侵されそうでしたね。なんか、人間ってないものねだりする事って多々あるかと思う。それをしていたり、悲観的になっていたり、ずっと自分の見えない傷が、疼き出して過去の自分が嘆いていました。

少しずつだけれども、前に進もうとしている証拠かなと、前向きに捉えています。
最近はどう過ごしていたんだろう。最近またしても健忘が激しく時間の感覚がありませんで、自分がどう過ごしていたか、人格的な意味で誰で過ごしたか、思い出せなくなっています。
でもまぁ、それでもいいかなーとか思っちゃってるんですよね。
実際大切な物事とかは済ませているし、普段の生活に支障はないし。

自分、今まで苦しい思いをしてきたんだなと、ようやく思えるようになってきました。
原稿やっている時、ずっと責め苦を自ら強いてきました。生む苦しみとはまた別物の苦しみを自分に課していたのです。

「この行為に意味はあるのか?」「何をやっても無意味、無駄、無価値」「何してんの?傷が癒せてないくせして」「どうして」「なんで」「こんなに苦しいのに」「この苦しみから逃げる為に創作をして、そこに何が残るの?」

これ以上は描きませんが、そんな問いにずっと殴り続けられてきました。勝手に頭に湧いてくるのです。これのせいで原稿中はとても苦しくてそして何度も挫折を味わいました。これを人は葛藤というのでしょう。
しかし、葛藤ではなく、自分の心の悲鳴に近しいものだなと受け入れました。過去の亡霊の様なものが僕の作業を邪魔してくるのです。それはきっと、好きなことをしたり前に進もうとしている僕を許せないんでしょうね。だから解離してるんです。

どうして、僕はそんなに僕自身が嫌いなのかは、まぁ自分の命の肯定材料が増えるから嫌なんですよね。

それが生きる事に直結してしまい、更に離人を体験する。それを避けたいのではないかと。
「自分の一番の理解者は自分自身だ」といいますが、だからこそ僕は僕が嫌いで殺したくなるのです。

…自分をスキになれなくていい。最近特に強く思います。だって、それでも生きていけますから。


「死んだように生きたいならば、一切絵を描かずに生きてみては如何かな?」

お茶をしばきに行って、自分の人生を生きられていない感覚があると話を僕からして、友人はそう言いました。

自分は”創作をしない事”に耐えられないと、答えました。即答でした。

「ならば、もう答えは出ているだろう?」

友人の言葉を前に自分は分からなくなりました。分かっているけれど、分かっているけれど、という。
楽しい事をしていい。目標をもっていい。作りたい本を作ったり、仕事に繋いでいい。自分を許していい。ハズなんです。

もう自分は自由なのだから。

自分は自分の人生しか生きられないのだから。

どうして、どうしてと嘆いても、もうその時の自分ではない。
そしてそれに固執する必要はない。
変化を求めていいんだと。それを受け入れられるように生きたいですね。

あはは、またしても薄暗い話になって申し訳ない。

今年の目標も決まりません。
いや相棒には即座に「〆切を守ることだろ(圧)」とばっさり斬り込まれました。
ははは。頑張ります (泣)

これからの人生の指針としては、作品を増やし、持ち込みも行ってみたいな、と。同人活動は続けたいし自創作はしたいし本は作りたいしやりたいことは山ほどあるので。

自分は今の選択を間違っていない事を証明できるような人間になりたい。

相棒や友人を見ていると、すごい人ばかりだなぁと尊敬ばかりしてしまいます。
自分も頑張れる気がします。いいや、頑張りたい。

そうですね。今年は創作に熱を込められる年にしたいです。
エドさんとイリスくんの本編も小話も描きたいですし、読み切りで描きたいのもありますし、今在籍してる「匣mania」というサークルでも水面下で動いているので、気長に楽しみにしててください。

去年できなかった分、楽しみたいですね。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。貴方もよき一年がおくれますように。
今年もよろしくお願いします。

がんばるぞ!!描き散らかす!!
ではでは。