少し、環境を変えると、心の変化に気づきました。
環境を変えると言っても、住んでいる場所を変えるとかではない。創作も生活も苦しんでる私を見て、一度創作から離れ自分の生活に集中してみたらどうかと友人から助言をいただいた。しばらく自分とも生活とも向き合ってなかったので、向き合ったらそれだけダメージ大きかった。4月のほとんどは描かず過ごした。4月24日から描けなくなって虚無に包まれた。「自分なんで創作してたっけ」「意欲がない」という状態にまで落ちた。
分かっちゃいるけど、ひとりでいるからには全てひとりでやらなくちゃいけないんですよね。家事も買い物も自分のメンタルのメンテナンスも何もかも。それを選んだのは自分なので今更駄々は捏ねない。でも時々「自分はひとりだなぁ」と周囲をみてぽつんと思う事があります。誰にも知られず死にたいです。いやぁ、それはとても寂しいことかもしれない。だけど誰かに看取られるのが怖いんです。けど孤独死は嫌ですねハハハ。
話を戻すと、数日後に描けるところまで回復はしたんですけど、それまでは読書してました。レシピの本や詩とか人生の生き方的なものとか。そういった時間が自分には足りなかったんじゃないか。改めて思いました。自分特に何の成果もないのに創作しないのは許さないという強迫に駆られて自分の事を放り投げて、最低限の下くらいの生活をしてるのを改めて認識して「こりゃあ生きづらいしメンタルも体調もボロボロになるわけだわ」となり、少し生活改善してぇなとようやく重い腰を上げ始めています。
ここからが本題です。
自分は精神疾患こじらせて、幻聴が聴こえています。とはいえノイズの様なものだと思って過ごしているので問題はない。けれど今回はそれに重きを置いて、向けられている言葉の数々、雑音、強迫的になっている状態からの逆算(どうしてそれが起こるのか)等々を冷静になって考えてみたのです。
私の幻聴は正しい(?)幻聴ではないので、自分の心の声だと思って分析できてよかったですね。
自分の変えたい所や変わりたい事を考えていると、段々考えられなくなりその思考がぼけてしゅわ~っと消えていく感覚がしました。恐らく心境の変化のあった自分を、過去の自分が必死に過去の自分のままでいろと縫い留めようとしていた。
そこからは「自分の創作物を愛したい」「自分が創作する事を愛したい」「自分は愛せなくてもいいけど、それすら愛したい」といった結論が出ました。簡単に言うと「受け入れたい」ってこと。
その結論に出てから、心が大分楽になりました。泥まみれになっていたビー玉が泥の中から微かに輝きをみせたような気分でした。何言ってんだコイツ。例えるのヘタクソかよ。すすけていた視界が少しクリアになって、また思考がぼやけ始まったら口にだしたりメモにとったりしてます。
よく「自分の味方は自分しかいない」というけれど自分にはその権利すらないと思ってました。何をしても自責の念にかられて、結果すべてを壊して周囲からの信用を失くすという行為を何度も繰り返してきました。
しかし、相方や周囲の人と創作している時はとても楽しいし、相方からはよく絵を依頼されるのでそれにはいつも全力を尽くしているけれど、他の創作や期待に応えようとしてもいいんじゃないかなぁ。だって十分自分の事傷めつけたよ。もうそろそろ歩いていいんじゃないかな。
疲れたなら休めばいい。休んだらまた歩けるんじゃない?立ち止まった時は一番冷静になれるし、クールダウン大事。という事を自分に語り掛けられるようになってきたのです。
楽しい事を楽しいと感じ、その中に微睡んで生きたい。